今日はおきくのことについて話していきたいと思います、幸せな結婚生活を夢見てた頃~
目次
・結婚して…
・そんなこんなで結婚生活へ…
・そして出産へ…
・もう耐えられない
・家に帰ってから初めての育児…
・
結婚して…
旦那との出会いは恋愛結婚でした、友だちのお兄さんだったのですが私から片思いして私から告白しました。私はそのとき高校生でまだ幼かったのもありますが一緒にいられるだけで幸せ、みたいなかんじだったんですよね。卒業と同時に私は彼と暮らしたいと思っていて就職も決まっていましたし家を出ようと思ってました。
あんまり家が好きではなかったためなのか早く家を出たかったという思いが強かったんです。めちゃくちゃ反対され初めて頬を殴られました、今でもわすれないですね。ほぼ勘当同然で家を出てそして同棲を初めてすぐ妊娠発覚しました。
18歳という若さでの妊娠、なにがなんだよくわからない状態でした。旦那は結婚しようと言ってくれましたしとくにその時はお互い若さゆえなんにも周りを見ることも見る余裕もなかったと思っています。
ただただおなかに芽生えた命を大事にしていかなければ…そして自分で家族を作る…私が家族と仲良く出来なかったために余計家族を大事にしていこう…その事しか考えてなかったと思います。婚姻届を出すのに未成年の私は親の同意が必要でした、一度実家に帰り妊娠した話、結婚したい話すべてを話しました。家を出てから2か月自分の親も少し落ち着いて話ができました。
なにかあったら帰ってこいよとは言ってくれたものの自分の中ではまったくそんなつもりもなかったですけどね。だんなの親にも話しました、父親は特に何も言いませんでしたが母親はきっと嫌だったんだと思います。一番賛成してくださったが今は亡きおばあちゃんでした。
だんなの父親のお母さん、つまり大姑なのですがとても喜んでくださって、いつかは嫁を貰うんだし私はおきくを気にいったと言ってくださりました。姑は当時本当に嫌だったんだと思います。
息子をとられたという思いもあり、さらに姑は自分の姑にとても嫌われていてとてもいびられていたそうです。親戚の集まりではいつも泣いていたと言ってましたし…私はそうなのになんでおきくはという思いもあったんだと思います。
そんなこんなで結婚生活へ…
とっても貧乏ではありました、旦那も働いてるとはいえ生活ができるほどではなかったのです、しかも専業主婦でいてほしいという思いがとても強く働くことを最初許してもらえなかったんです。なんとか旦那は転職して販売の正社員へ。
保険証を作ってすぐ産婦人科へ・・・すごく怒られました、こんなに大きくなるまでなんで病院に来なかったんだと…母親としての自覚はないのかと、そうです・・・今まで保険証がなくて病院に行けずどうしていいか毎日悩んでいたのです。
お金がないと病院は診てくれないと思ってましたし、保険証もなく病院に行ってどうしたらいいのか若い私たちはとても無知でした。またここのお医者さんはとっても怖くて…昔ながらの産婦人科なのですがこの先生がとても大きくて威圧的…私はめちゃくちゃ泣いてしまいました。
でも母親になるんだから頑張らないとと看護婦さんに励まされ、先生からはおなかの赤ちゃんはとっても元気だからと教えてもらいました。ここが頭で…と説明されていくうちに涙が止まらなかったのを覚えています。
出産までにはいろいろなことがありました。結婚した我が家には洗濯機がなく毎日手洗いしていて洗剤の強さで手がボロボロになってしまっていました、毎週のように姑には会っていましたが特に何も言われず…敬老の日におばあちゃんを囲むのに親戚の集まりがあったんです。
親戚の中にはだんなの従妹が私と同じ年の子が一人いました。18歳という若さ、彼女はいまどきのメイクに髪の毛も金髪にしていておしゃれを楽しんでいる、いまどきの若者でした。
そんな私は手は荒れてボロボロ…だんながメイクも髪の毛を染めるのも嫌な人だったのでみんなにはおしゃれには見えないですよね。そんな時におばあちゃんから別な部屋に呼び出されました、そしてその手はどうしたんだい?って言ってくれたんです。
会が始まって2時間誰も一言も触れなかったんです。おばあちゃんは見ててくれたんです。そして明日一緒に電気屋さんに行こう、洗濯機を買ってあげると言ってくれました。きっといまでは味わえないと思います。
今ならクレジットカードでローンで買えたりしますよね。当時クレジットカードも持っていなければ消費者金融も知らない時代でした。いまなら家電は当たり前のようにあって不便って思ったことないですし、いま当時のことをやれと言われたら無理かもしれないですね。
冷蔵庫もなければ、エアコンもなかったです…。電子レンジもなく、洗濯機もなく…。すごい生活をしていたなと今なら思えますね、今その生活をしろと言われたらできないかもしれないですね。魚一匹を半分こしたり、ツナ缶を半分こしたりして…。
そして我が家に洗濯機が…とっても家事が楽になった、と感じた日です。ある意味とってもいい経験だったなと思いますし、若いからこそできたんだと思います。妊婦生活はとっても厳しい病院の体重管理などのおかげかとても順調に…毎回尿検査でひっかかってましたが問題なく臨月を迎えることができたのです。
そして出産へ…
出産はとても痛かったです…口では言い表せないくらいの痛さでした。わりと破水してから出産って人が多いじゃないですか?私の場合そのまま出口まで来ちゃったんですよね、だからこそ痛い!でもなんとか生まれたんです。初めてのわが子…おなかの中でずっと動いていたのはこの子なんだって会えた時は号泣でした。産後も順調に回復しました…が一個問題が…この産婦人科…母子完全別なんです。
病院にいる間はミルクをあげて(二人目で母乳が出る人は授乳のときにあげてよかったのですが・・・)私は初めての出産で母乳でもいいよと言われやったのですがうまく赤ちゃんが吸えずにうまく母乳があげられなかったのです。
そして退院へ…これから親子で頑張るぞ、と思った矢先…連れて行かれたのは…旦那の実家でした。産後1か月はここで暮らしなさいと…産後一ヶ月は無理をするとあとで体に障るからと…そうここから私の地獄の1か月の始まったのです。
自分の実家には出産したことだけを伝えました。最初の1週間はかわるがわる旦那の親戚が来て赤ちゃんを見に来てました、もちろんおばあちゃんも来てくれて見て抱っこしてくれました。そして2週間目、かなり体調もいいけど寝てろという姑、でも赤ちゃんは夜あんまり寝なかったんです。
当時舅は朝早く仕事に行き夜遅く帰ってくる人でした。姑はパートをしていました。夜になると泣いてしまう赤ちゃんをあやしていてもみんな寝不足で姑から文句を言われるようになったんです、こっちだって毎日寝不足なのよって…。アパート住まいな旦那の実家、ご近所からも言われたのかもしれないですが私は毎日帰りたくて仕方がありませんでした。だんなは狭いからと家に帰るので味方もいないですし…。
もう耐えられない
爆発したというか旦那が休みで旦那の親と弟と買い物に行ってくるといい出かけたんです。お昼はこれ食べてねとお弁当屋さんのお弁当。お昼に食べて30分後猛烈な吐き気とおなかを下したのです。お弁当にあたったのか私の体が限界なのか、そして5時間たっても帰ってこない、電話しても出ない、買い物って…そうパチンコに行っていたのです。
別にダメとかそういうことではないですが毎日つらすぎてもう限界だったんです。その夜自分の家に帰ってきて泣いちゃいました。私って涙もろいな~、こんなに泣き虫だったかな~って思うくらい。きっとホルモンバランスも崩れていて情緒不安定だったんでしょうね。
家に帰ってから初めての育児…
でもだからと言って赤ちゃんが夜中に泣かなくなるわけではなかったです。なんだかんだ3ヶ月くらいまでは夜ちゃんと寝られなかったと思います。座椅子に座りながらずっと抱っこしているのが一番楽でした。そして一番つらかったことが母乳が出なかったことです。うまくあげれずにミルクだったため余計に吸わなくなってしまったんです。
そしてとどめを刺すように姑の「ママおっぱいでないですね~」と赤ちゃんに話しかける姑…。本当に会うのが苦痛でした。でも赤ちゃんはすくすく成長して特に問題もなく順調に大きくなりました、一人目で不安は多々あったと思います。
5か月目くらいまでは本当に育児ノイローゼになりそうでした。4ヶ月検診で外に出たほうがいいと言われ公園に行ったり、地区センターや赤ちゃん会に行くようになり生活のリズムもできてとても育児も楽になったんです。笑うようになったり、動くようになったり、少しずつ楽しさが増えていったんですよね。
旦那は仕事で忙しかったりして家にほとんどいなかったり、今みたいに旦那さんが育児参加とかあまり言われてなかったですしね。でも結婚して一番幸せな時期だったと思います。料理も家事もしたことのないおきくでしたが雑誌を見たり本屋さんに行って料理等勉強したりして一番頑張っていた時期かもしれません(笑)
生活は楽とは言えなかったですし、古いアパートでしたし、狭かったですけどね。長女も歩けるようになり寝る時もお風呂に入って一緒に寝よ~って言ったら寝てくれていたしすごく1歳過ぎてから楽しい毎日でした。そんなおり・・・2人目のおめでたが発覚しました。
今日はここまで次回は2人目出産、姑との確執です。
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